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先輩開業インタビュー

全国の煮干ラーメン店に寄り添いたい。奥深い出汁の世界に踏み込んだ、日本初の"煮干しソムリエ"

日本が世界に誇る食の一つ、ラーメン。1990年代にブームが巻き起こると、全国でさまざまなタイプのラーメンが生み出され、今では国民食と言われるまでになりました。海外でも人気を得ているラーメンですが、その味を支えているのが「スープ」です。出汁に乾物が使われているものも多く、近年では煮干しをベースにしたラーメンが続々と登場。徐々に高まる煮干しの需要に応えるべく、活躍しているのが一番だし株式会社の自称・煮干しソムリエの鈴木秀義さんです。どのような仕事を手掛けているのか、お話をお聞きしました。

こだわりが強いほど奥深くなる出汁の世界

煮干しの種類や奥深さについて語る一番だし株式会社の鈴木秀義さんの写真 ――煮干しソムリエとはどのような職業ですか?
主にはラーメン店がスープの出汁に使う煮干しなどの乾物の卸売業をしています。この十数年で個性的なラーメンを出す店が増え、その時々によって味の流行も変わってきました。そうした流れの一つとして近年増えているのが煮干しラーメンです。この煮干しをふんだんに使ったラーメンを出す店を中心に、店主のこだわりに合わせた煮干しを提供するのが煮干しソムリエである僕の役割です。ソムリエといっても自称なので、特に検定などがあるわけでもなく、おそらく名乗っているのは全国でも僕だけだと思います。

――具体的にはどのような作業をしているのでしょうか?
例えば、これまでラーメン店が乾物店に煮干しを注文する場合、「〇〇産の煮干しをください」と、産地を指定するくらいのものでした。しかし、最近はスープにこだわりを持つ店主さんが増え、「長崎産の脂強めの小羽(こば)がほしい」とか「九十九里産の脂少なめのウェットなものをください」など、産地だけでなく、小羽、中羽(ちゅうば)、大羽(おおば)といったサイズ感、乾燥状態にいたるまで細かいオーダーをいただくケースが少なくありません。スープはラーメンにとって命であり、店主が理想とする味を作り上げるため、ご要望に沿った煮干しを提供しています。

――かなり奥深い世界ですね
こだわりが強ければ強いほど深くなっていきます。お客様から出汁について相談されることも度々あり、例えば「煮干しだけを使ってラーメンを作りたいんだけど、さば節やいわし節などの節類の香りも出したい」というご要望をいただいたことがあります。この時、僕が提案したのが熊本県天草市牛深町で作られている平子(ひらご)煮干しです。牛深町は節類の産地で、ここで作られる煮干しには節の香りがついているという特徴があります。これを使えば煮干しの旨味と節の風味を楽しめる一杯を作ることができる。つまり、ただ煮干しの種類を知っておくだけでなく、産地や製法によって生まれる特徴を掴んでおくことも煮干しソムリエにとって大切なことなのです。

ラーメンの食べ歩きで身についた出汁の知識

これまでの経歴やラーメン店で働いたことについて語る一番だし株式会社の鈴木秀義さんの写真 ――煮干しやラーメンについての知識はどのように身につけたのですか?
もともと学生時代からラーメンが大好きで、勉強そっちのけで食べ歩いていました。都内近郊のラーメン店であれば、当時よくいたラーメンフリークよりも詳しかった自信があります。実際、ラーメン好きが集まるテレビのクイズ番組に出場したこともあるくらいですから。この頃に好きが高じてスープについての基礎知識を独学ながら自然に身につけていったのだと思います。

――学生の頃からラーメンに関係する職業を希望していたのですか?
いいえ、ラーメンの食べ歩きはあくまで趣味。新卒で就職したのは都内の印刷会社で、配属した企画部ではデザインなどを手掛けていました。ですが、入社3年目に営業事務職に転属した時、仕事に対して虚無感みたいなものが生まれてしまって。また同時期に、ロサンゼルスで美容師をしていた友人に会いにいく機会があったのですが、彼から「本当にその仕事がしたいの?」と言われたんです。場所は華やかなロス、しかも友人はその場所で活躍して輝いている。そんな彼からの問いかけに心が動かないわけがありません。帰りの飛行機の機内で「よし、好きを仕事にしよう!」と、退職届を出す覚悟を決めていました。

――どんな職業に就こうと考えたのですか?
好きなものといえばラーメンです。これに関係する仕事に就こうと決めたものの、思いつくものといったらラーメン店しかなかったので、地元の埼玉県所沢市で当時注目されていた店に就職しました。しかし、その店舗は人がいっぱいで、同じ埼玉県の川越市にある店舗に店長候補として配属となり、こうしてようやくラーメン作りに精を出す日々がスタートしたのです。ちなみに、この川越市の店の取引先の乾物店で営業をしていたのが、今の会社をともに立ち上げ、代表を務めている小嶋です。 小嶋も乾物店に入社したばかりで、お互い新人という立場だったこともあり、すぐに意気投合したのを覚えています。ただ、この時はのちに自分が乾物を卸す側に回り、小嶋と一緒に仕事をするなんて考えてもいませんでしたが。

満を持しての開業、味わったのは大きな挫折感

――ラーメン店にはいつまで勤めていたのですか?
3年半ほど勤めていました。その後、2012年に独立して新所沢駅前で自分の店を持ったのですが、実は開業したのはラーメン店ではなく、蕎麦屋だったんです。なぜ蕎麦かというと、開業前に都内の超人気店が出している蕎麦を食べ、「これを作りたい!」とたちまち心変わりしてしまったからです。いわゆる一般的な蕎麦ではなく、中華そば風のパンチのある味付けは衝撃でした。内装や雰囲気づくりにも凝っており、立ち食いにも関わらず、生け花を飾っていたり、ショパンを流していたりと、すべてが目新しかった。地元で同じような店を出せば、間違いなくヒットすると考えたのです。

――開業後は順調でしたか?
これが最初はまったく受け入れられませんでした。まず客層にファミリーやお年寄りが多かったこともあり、立ち食いスタイルが不評で、すぐに椅子を置くことになりました。肝心の蕎麦も都内では人気の味のはずが地元での反応はイマイチ。しかし、それでも地元で開業したということもあって、以前勤めていたラーメン店から常連客が足を運んでくれたのはありがたかったです。また、僕の作るラーメンを好きでいてくれたお客様から、「やっぱりあなたの作るラーメンが食べたいよ」という声をいただいたことがきっかけで、昼は蕎麦、夜はラーメンというスタイルに変更することにもなりました。ここで作り始めたのが、のちの仕事につながる煮干しラーメンです。

――お客様の反応はいかがでしたか?
全国でもトップランクといわれる煮干しラーメンを出している、板橋区のとある店を理想にして作ったのですが、やはりそれほど甘くはなく、期待以上の反応は得られませんでした。朝の情報番組などでも取り上げていただいたのですが、売り上げは爆発的には伸びず、今後の伸びしろにも限界があると感じ、結局、2年半ほどで店は売り渡してしまいました。それからまったく職種の違う不動産の営業に従事し、ラーメンからは距離を置いた日々を過ごしていたのですが、転職先でも職場のトラブルに巻き込まれるなどうまくいかず、これも2年ほどで退職。次に何をしようかと思案していたところ、声をかけてくれたのが川越でラーメンを作っていた時に知り合った小嶋でした。失望感や挫折感に苛まれていた僕は二つ返事で誘いを受け、彼の勤めていた乾物店へ入社することになったのです。

食べ歩きやラーメン作りで得た知識・経験が大きな武器に

――乾物店ではどのようなお仕事をされていたのですか?
小嶋が当時手掛けていたのが、今の事業につながるラーメン店を対象にした乾物の卸売事業です。ただ、こだわりの強いラーメン店の要望に応えるためには、実際にラーメンやスープ作りを経験した人間が必要でした。そこで白羽の矢が立ったのが僕だったのです。また、卸し先を増やそうにも、どの店がどんな乾物を使っているかわかりづらい。でも、学生時代からラーメンを食べ歩いていた僕ならどの店がどの材料を使うのか大体わかる。これまでの経験を存分に活かせる仕事に巡り合えたことはとても幸運でした。

――取引先のラーメン店はどのように開拓していったのでしょうか?
基本的に営業をかけることはなく、ほとんどが紹介です。味にこだわりを持つ店の店主さんは研究熱心な方が多く、店主さん同士で情報共有するなど横のつながりを持っている場合が少なくありません。それに、繁盛店から独立して開業するケースも多いので、師弟関係があるのもこの業界の特徴です。そうした方たちから紹介を受け、徐々に卸し先を増やしていきました。

――では、独立までの経緯を教えてください
乾物店でのラーメン店向け卸売事業は好調だったのですが、拡大していくにつれて大幅な在庫を抱えることになりました。街の小さな乾物店だったこともあって、在庫はもちろん、倉庫や人手も足りなくなっていったのです。もともと店頭での小売がメインの会社なので、規模として明らかにキャパオーバーでした。そこで、小嶋と私で手掛けていたラーメン店向けの事業を持ち出す形で、2020年3月に独立することになったのです。

――現在、苦労を感じていることはありますか?
小嶋と僕、そして乾物店に在籍していたもう一人の社員の3人で現在の会社を立ち上げたのですが、とにかく人手が足りていません。当然ですが、企業として運営していくには販売だけでなく会計業務やコスト管理といった作業も必要で、以前に比べて一人にかかる負担がかなり増えました。ただ、人件費を抑えることで既存の取引先に対して卸値を上げることなく維持できているということもあるので、今は経営が安定するまで我慢の時だと思っています。

ラーメン業界の下支えをする覚悟で臨む

――独立したことで取引先が減ったりはしなかったのですか?
ほとんどのお客様が離れず取引を続けてくれました。もちろん卸値を変えなかったこともありますが、何よりうれしかったのは多くの方が「鈴木さんから買いたい」と言ってくれたことです。こだわりの強い店の方ばかりですから、そんなみなさんに煮干しソムリエとして認められたようで、大きな自信につながっています。

サイズの違う煮干しの写真 ――それは励みになりますね
みなさんの期待に応えるためにも、毎日がチャレンジの連続です。時には、僕の知識の中で「この煮干しで納得してくれるはずだ」と確信を持って提供したものが、店主さんの好みに合わないということだってあります。なぜなら、煮干しはそのまま食べた時の味わいと、出汁にした時の味わいではまったく変わるからです。取引先の中には、煮干しのサイズによって寸胴のどこに配置するかまで計算して出汁をとっている人もいます。それによってまた味も変わるので、こうなるともうイメージするしかない。想像力が必要な仕事でもあります。

――知識だけではカバーできないこともある、と
実際に厨房に立って寸胴を前にラーメンを研究した経験がなかったら、店主が何を望んでいるのか、まったく理解できなかったことでしょう。また、その店の味の特徴をつかもうにも、やはりラーメンが好きじゃないとできないと思うんです。それは煮干しも同じで、仕入れ先の生産者も煮干し好きの人ばかりです。味やこだわりを聞くと、みなさん親切に教えてくれます。自分が大好きなものだからこそ、むしろ教えたがりの方も多くて一度聞いたら話が止まらない。この業界は「好き」を仕事にした人たちの集まりのようなものです。

取引先の店長が目指すスープ作りのお手伝いをしたいと今後の展開を語る一番だし株式会社の鈴木秀義さんの写真 ――今後の展開をお聞かせください
現在、約200軒の店舗と提携しており、北は秋田県から南は沖縄県まで煮干しなどの乾物を卸しています。でも、日本にはまだまだたくさんのラーメン店があります。もちろん店舗ごとに味が違い、出汁のとり方もさまざまです。僕の役目は取引先の店長が目指すスープ作りのお手伝いですが、裏を返せば各店に通うその店のファンの方々の期待を背負っているということでもあります。僕の提供する煮干しが店主さん方の素晴らしい技術によって極上のスープになり、それがいかにファンを満足させられるか。毎回が真剣勝負です。その結果、おいしいスープを出す店が今よりもっと増えていくように、ラーメン業界の下支えをしている覚悟でこの仕事に臨んでいます。

――仕事の中で大切にしていることがあれば教えてください
これまでサラリーマンや個人事業主、またさまざまな職種を経験してきました。その中で見つけた一番大切なことがあります。それは、心から信頼できる人と仕事をするということ。どんな仕事もたった一人ではできません。いろんな人の助けや知恵を借りなければよい仕事はできないはずです。その点、僕は自分が大好きなラーメンや煮干しを愛する人たちと一緒に仕事ができています。だからやりがいも十分に感じられる。学校をサボってまで行なっていたラーメンの食べ歩きも無駄じゃなかったというわけですね。「好き」は仕事につながる。それを今まさに実感しています。

一番だし株式会社

埼玉県川越市大字大袋650川越卸売市場内 5区画

https://1bandashi.com/

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