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先輩開業インタビュー

球団でのファンづくりの次は地域活性化にチャレンジ!海辺の街で飲食業やシェアハウスを展開する元名物広報マン

夏になると海水浴客で賑わう千葉県鴨川市の太海海岸。子どもたちが遊ぶにも安全な穏やかな海を目の前に望むカフェが「浜茶屋太海」です。経営している高瀬智弘さんは、18年に亘ってプロ野球球団「千葉ロッテマリーンズ」のファンづくりに力を注いできた元企画広報担当。2011年から千葉市幕張と鴨川市太海での二地域居住を始めると、2015年に球団を退職して完全移住し、カフェやシェアハウスなどを展開しながら、今度は町おこしに挑戦しています。そんな高瀬さんに、なぜ鴨川へと移住し、現在の事業を立ち上げたのか、その理由や経緯を詳しく伺いました。

受け入れてくれた鴨川市のためにさまざまな事業を展開

――事業内容を教えてください
株式会社Mr.ソテツとして、いくつかの事業を展開しています。まず、太海海岸沿いのカフェ「浜茶屋太海」の運営です。基本的には海水浴シーズンに営業していて、海の家やバーベキューガーデンとして海水浴客をメインに利用してもらっています。また、その他に当社の売上として一番大きなウェイトを占めているのが、出店業です。浜茶屋太海の人気メニューでもある、鴨川漁港で仕入れた旬の魚を揚げた「おさしみ唐あげ」を、主にイベントやスポーツ会場、地域のお祭りなどへ出向いてキッチンカーやテント出店で提供しています。

株式会社Mr.ソテツの高瀬智弘さんの写真 ――その他にも手掛けている事業はありますか?
飲食業以外に、鴨川市内にある2つのシェアハウスの運営をしています。1つは大学生向けの下宿所として稼働させていたのですが、一昨年の2021年に市内にあった大学が移転をしてしまったので、今はリノベーションしてゲストハウスにしています。そしてもう1つは、鴨川市でお試し移住や週末移住をしたい方向けのシェアハウスです。あとは、妻が講師を務めているチアダンススクールを運営していて、今年から鴨川市の女子サッカーチーム「オルカ鴨川FC」の公式チアチームになりました。またそれがきっかけで、オルカ鴨川FCから業務委託で運営責任者兼ホームタウン推進室長を請け負っています。わかりやすく言えば、ファン開拓が主な仕事になります。

――かなり幅広く展開しているのですね
ええ。私も移住組なので、受け入れてくれた鴨川市のために何か貢献したいという思いで仕事をしています。そのほかにも、進行中ではありますが、鴨川市の湧水や米を使って、日本一の味噌作りプロジェクトを行っています。今まさに味噌を熟成中で、もうすぐクラウドファンディングを公開するところです。自分の手掛けることが少しでも地域のプラスになったらうれしいという気持ちが原動力になっています。

千葉ロッテマリーンズのファン開拓に奮闘した日々

――今の事業を始めた理由を教えてください
学生時代はいわゆる野球少年で、プロの選手になることを夢見ていましたが、やはり壁は高くて途中で断念しました。それなら球団職員になろうと考え、12球団すべてに「採用していませんか」と電話したものの、そんなにうまくはいきません。ことごとく断られて、夢も絶たれ、次の候補として考えていた外資の航空会社に就職しました。3年半ほど働いてみましたが、それでも野球の仕事したいという思いが消えなかったんです。そんな時に大学の野球部の後輩から、新聞広告が送られてきて、そこに書かれていたのが「マリンスタジアムを満員にできる人募集 千葉ロッテマリーンズ」。すぐに応募したところ、運よく採用してもらえました。

――採用された決め手はなんだったのでしょうか?
当時、勤めていたのが航空会社だったこともあり、飛行機が格安で乗れたので、頻繁にメジャーリーグを観に行っていました。アメリカのスタジアムは雰囲気が最高で、まるでアミューズメントパークに来たような感覚を味わえます。一方で、日本の球場と言えば、酔った観客が選手にやじを飛ばしていたり、球団側も球場をエンターテインメント化できていない状況でした。そこで、面接では日本の野球の観戦文化を変えたいという思いや、具体的に球場の演出やマスコットの展開などを企画書にまとめて持っていきました。それが評価されたのかもしれません。

千葉県鴨川市の太海海岸の写真 ――入社後はどのような業務をされていたのですか?
ファン開拓に関するあらゆることです。試合ごとの演出やマスコットの運用、各地域での後援会作りなど、さまざまなことを仕掛けました。当時、ファンへのサービスと言えばロッテのお菓子をプレゼントすることくらいでした。さすがにそれだけではチームを愛してもらえない。そこで、とにかく千葉県民に愛されるチームにしたくて、何かファンとふれあう機会を作れないかと考えました。結果、練習や試合で忙しい選手は難しくても、チア・パフォーマーチームなら各地域へ足を運べると思い、地域イベントや学校行事など、さまざまな場所へ出向きました。そうした地道な活動によって、子どもも大人も世代を問わず、チームの認知度を高めていきました。

――ファン作りの成果はいかがでしたか?
目に見えて観客動員数が変わっていきました。また、2005年、2010年には優勝して日本一にもなり、チームとして大きな盛り上がりも見せ、ファンサービスについても一定の評価をいただけるようになりました。とても充実した日々を過ごしていたのですが、そんな中、いわゆる燃え尽き症候群になってしまって。これ以上、自分にできることはないと、達成感を感じていた頃、出合ったのが鴨川でした。チームの秋季キャンプで訪れることがあり、市役所の方々と交流を持たせてもらうようになったのですが、「すごく気持ちのよい人たちだな」という印象があったんです。そんな時、幼い頃から抱いていた、いつかは海辺に住みたいというぼんやりとした夢を思い出し、当時の市長に「鴨川に住みたいので、家を探してください」と、本気でお願いして実際に物件を見つけてもらいました。今思えばそれが移住のきっかけでした。

食卓の味を“鴨川名物”と銘打ち商品化し、大ヒットへ

――移住がきっかけで退職されたのですか?
最初は完全移住しようとは思っていませんでした。2011年に週末だけ暮らせるような一軒家を賃貸で見つけて、鴨川から幕張にある会社まで通っていました。ただ、「この海辺の街での時間を増やしたい」と強く思うようになり、鴨川にいる時間がどんどん増えていき、幕張にあったマンションへは戻らなくなっていきました。そして、2015年に鴨川で起業しようと考え退職したのですが、実は事業内容はまったく考えていなかったんです。でも、友達や知り合いがこの場所に来てくれるためにどうすればいいかを考えた時、思い浮かんだのがカフェでした。そこで、廃墟になっていた元スナックの物件を借りて、リフォームしたのが今の浜茶屋太海です。

――開業までに資金はどれほどかかりましたか?
350万円ほどで、すべて自己資金で賄いました。浄化槽が入っていなかったり、下が砂地で地盤がグラグラしていたりと、問題がたくさんあったのでそれなりに費用がかかりました。内装は基本的にはDIYで、あとはマリーンズファンだった知り合いの大工さんがパートナーになってくれて、彼のアドバイスのもとリフォームを進めました。おかげさまで、2015年2月に退職し、翌々月の4月にはオープンできました。

――オープンしてからは順調でしたか?
1年目はよかったですね。「千葉ロッテマリーンズの高瀬さんが独立してカフェを始めたよ」と口コミが広がり、チームのファンや関係者、当時の鴨川市長も来てくれました。でも、2年目になると予想していた通り、徐々に客足も減少していきました。リピーターを作るにはどうすればいいだろうと考えていた時に、隣の勝浦市を見たら、勝浦タンタンメンがとても注目を浴びていたんです。ひょっとしたら名物があれば鴨川にも人が来てくれるのではと考え、思いついたのが魚の唐あげです。ヒントはご近所の方の話でした。漁師の家では魚を獲ってきたら、刺身で食べて、そのあとに焼いたり煮たりして味わう。そして、最後は唐あげにして楽しむというのです。家庭料理として定着しているなら、名物としてもおかしくない。そうして作ったのが「おさしみ唐あげ」でした。しかも、最初から鴨川名物と銘打ちました。

浜茶屋太海の写真 ――他では見たことないネーミングです
それがいいんです。普通に「魚の唐あげ」と売り出しても、広まらない。インパクトのある名前が欲しいと思っていたところ、たまたま舞い降りてきました。新鮮な魚を使っていることも表現できているし、「よし、これでいこう!」と、まだ肝心の商品ができてないのに、名前だけ先に決めたんです。それから知り合いのシェフに「おさしみ唐あげを作りたいんだけど、どうやって作ればいい?」と相談しました。試行錯誤の末に出来上がったものをお店で出したら、たちまち評判になり、お客様にも喜んでいただけました。でも、この味を広めるには、PR活動が必要です。そこで思い出したのが、マリンスタジアムに人を呼ぶための広報活動でした。球場でいくら「みなさん来てくださいね!」と呼びかけても意味がない。呼び込むにはマスコットやチア・パフォーマーチームを連れて外へ出ていく必要がある。それならおさしみ唐あげを持ってイベント出展をしようとすぐに行動に移しました。

観光客や移住者が過ごしやすい環境を事業として作り続ける

――出店業は順調でしたか?
2016年におさしみ唐あげができて、その年の秋に催された市内の食のイベントに、おもちゃのようなフライヤーを持って出店したら、行列ができたのには驚きました。多くの人が看板の前で立ち止まり、「おさしみ唐あげ? お刺身と唐あげ? お刺身の唐あげ?」と気になっているのがわかり、ネーミングが成功したと確信しました。買ってくれた人には「お店ではもっとおいしいのが食べられますよ」と、浜茶屋太海のショップカードを渡したり、太海海岸のPRをしたりと声をかけ続けました。それが功を奏したのか、2019年には第10回唐揚げグランプリ素材バラエティー部門で金賞をいただき、思い描いていたストーリー通りになって、コロナ禍になるまではとても順調でした。

――出店に関しても自己資金で賄ったのですか?
いいえ、補助金などを活用しました。事業として成立させるには、きちんとした機器をそろえる必要があります。業務用のフライヤーやキッチンカーを買うために、地元の商工会に相談したり、千葉県の産業振興センターに相談したりと、そうした勉強もたくさんしましたね。会社員時代の貯蓄はあったものの、会社としての資金は潤沢にあったわけではないので、使える補助金は積極的に利用していきました。

――シェアハウスの事業はどのタイミングで始めたのですか?
浜茶屋太海をオープンした2015年の12月にはスタートしていました。お店にいろんな人が来て、私のライフスタイルを話すと「自分も週末移住をしてみたい」という声が次々とあがって、それなら物件を用意しようとしたのがきっかけです。まずは私が初期投資をして、そのあとに家賃として利用者から回収する形をとりました。大学生向けに用意した物件については、お店に出入りしていた学生から「アパートを借りると意外に家賃が高くてつらい」という声を聞いて、同じく私のほうで物件を用意しました。結果的に大学が移転して、一般の方向けのシェアハウスにしていますが、すでに初期投資の回収は終わっています。

――チアダンススクールの運営についてはいかがでしょうか?
移住後の2016年に結婚したのですが、実は妻は千葉ロッテマリーンズの元チアメンバーなんです。妻のチアの経験を生かして、鴨川の子どもたちに何か夢づくりができないかという話になり、スクールを立ち上げました。私たちも3人の娘を育てていますが、鴨川は子育ての環境としては最高でも、習い事などの選択肢はかなり少ない。そこで、見るもの、経験するものが1つでも増やせたらという思いを教育委員会や市長に話したところ、協力してもらえることになりました。立ち上げ時には、幼稚園や保育園、小学校などでチラシを配布してもらい、そのおかげで現在は、約50人が通うほどの規模になっています。

失敗しても「やり尽くした!」と言える人生を選びたい

――ファンづくりにコツがあれば教えてください
ファンをつくるためのセオリーが1つあって、それが「もう1人、もう1回、もう1秒」。まずは初めて来る人たちをたくさん増やすために宣伝し、その人たちの数%しかリピーターにはならなくても、それを1人でも多く増やす努力をする。そして、もう1回来ていただくための仕掛けを考え、その人たちが1秒でも長く滞在してくれれば、落としてくれるお金が増えるわけです。それを意識して商品やサービスを考えることが大切です。現に、私も移住するきっかけがそうでした。チームの秋季キャンプで鴨川へ来るようになって、その回数が増えるたびにどんどん好きになり、気づいたら住んでいたのですから。お客様をそのサイクルに巻き込むことが大事だと思います。

浜茶屋太海の店内の写真 ――移住してよかったことを挙げるなら?
移住する時によく言われたのが「勇気あるよね」という言葉でした。しかし、私の考えは「今以上にいいことがあるかもしれないのに、やらないほうが勇気あるよね」なんです。したいことがあるのに、やらない勇気を私は持てない。たとえ失敗しても、すべて自分の判断だから、何一つ後悔もない。だから、今は楽しくてしょうがないですね。

――都会暮らしと比べて、不便なことはありますか?
強がりではなく、私はまったくないと思っています。むしろ、湧水の水汲み場がいろんなところにあっておいしい水が飲めたり、駅から3分と近いので交通の便がよかったりと、ストレスフリーになりました。子育てしていると、必然的に買い物の頻度も増えます。田舎なら、家の前に車を停めて運び込めるけど、都会だとそうはいきません。そんなことを考えてみると、どっちが本当の意味で便利なのだろうと思ってしまいますよね。

――最後に、独立・開業を目指す読者にアドバイスをお願いします
仲間にはいつも「最期を迎えた時に、後悔するような生き方はしないように」と言っています。「あの時、やっておけばよかったな」なんて悔いを残して旅立つのは誰だって嫌でしょう。「やり尽くした!」と、すっきりした気持ちでこの世を去りたい。私は、千葉ロッテマリーンズを退職した時のような爽快な心持ちで終わりたいんです。常に晴々しい気持ちでいられるように、みなさんもしたいことがあるなら、どんどんチャレンジしていくべきです。それがいつだって好きなことばかり考えている私からできるアドバイスですね。

株式会社Mr.ソテツ

所在地:千葉県 鴨川市太海浜252 浜茶屋太海
TEL:080-3536-5516
※取材時点の情報です

https://hamachaya-futomi.com

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