これまでの経歴やプロフィールをご紹介します。ご確認のうえ、ぜひ体験談をお読みください。
豊島光則オーナー(55)
個別指導塾ノーバス 荏原町校・馬込校・戸越銀座校
2012年に1校目を開業し、現在では3校あわせて生徒数250名超を誇る規模となった豊島オーナー。その経営者としての歩みは、20代で立ち上げた不動産業が起点でした。リーマン・ショックや東日本大震災を経て事業の多角化を進め、飲食業とともに新分野として挑んだのが学習塾経営だったといいます。
数多くのFC本部がオーナー募集をする中で、なぜ豊島さんはノーバスを選んだのでしょうか。そしてたくさんの生徒や講師が集う場所を作り上げた秘訣とは。「子どもたちを真剣に叱ることもある」と話す豊島さんに、塾経営への思いを聞きました。
当時の年齢 |
40代前半 |
---|
当時の自己資金 |
301〜500万円 |
---|
事業スタイル |
会社経営 |
---|
キーワード |
脱サラして始める 複数店舗を持つ |
---|
塾経営に興味を持ち、まずは名の知れたいくつかの大手塾に話を聞きに行ったものの、なかなか条件に合うところが見つけられず…。そんな中で出会ったのが当時イーパスの社長だった石井さん(現相談役)でした。
実を言うと私は、最初に既存校舎を見学した際にその熱気に圧倒され、「教育業界未経験の自分には無理かもしれない」と尻込みしてしまったんです。それでも石井さんは親身に私の話を聞き、不安を受け止めて、一緒に開業準備を進めてくれた。だから私は「この人と一緒にやりたい」と決意し、ノーバスの塾長に挑戦することにしたんです。
塾経営の大きな課題は生徒募集かもしれませんが、私が最初に開校した荏原町校は、この12年間で新規入塾者が0人だった月は一度もありません。といっても特別なことはしていなくて、本部が用意してくれるチラシを定期的に打つ程度。それでも生徒数がどんどん増えていったのは、紹介や口コミの力です。完全1対1の担任制で見守ってくれる先生がいる。この安心感は、他塾にはない最大の強みだと思っています。
私自身は教務未経験なので、自分ができないことを無理して教えることはしません。講師を信頼し、生徒との相性を考えて組み合わせていく。そうすることで子どもたちはノーバスを「楽しい居場所」だと感じてくれるようになるんです。
校舎では毎年、年度末の入試という山に向かって生徒とともに本気で登っています。講師はもちろん、私自身も生徒のためだと思えば本気でぶつかりますし、時には厳しく叱ることも。そうして山を登り切った後には、不動産業や飲食業では味わえない感動が待っています。
3月には卒塾式を行ってすべての生徒に表彰状を渡します。中には志望校に合格できず、涙を呑む生徒もいます。それでも「自分は落ちてしまったけど来年は妹をお願いします」と言って、きょうだいを紹介してくれたりするんです。卒塾生の中には、数年後に講師として戻ってきてくれる子もたくさん。だから最近では講師募集にも苦労しなくなりました。最高の好循環ですね。
おかげさまで現在は3校舎を展開していますが、ノーバスならまだまだ都内近隣で展開できると思っています。校舎を増やすのは収益拡大のためだけではありません。なんと最近では大学卒業後に入った会社を辞め、「ノーバスで社員として働きたい」と言って戻ってきてくれる元塾生も増えているんです。彼らの活躍の場を増やしていくことが、今後の私の責任だと考えています。
今、私は「100年後にここから巣立った仲間たちで100校」というビジョンを掲げています。私が生きている間には無理かもしれないけれど、この子たちならきっと実現してくれるはず。最初に私の背中を押してくれた本部の皆さんにも、もう少し恩返しをしたいですからね。