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先輩開業インタビュー

脱サラでラーメン店「くじら食堂」を開業した店主が明かす、わずか1年で全国人気になれた理由

全国47都道府県のナンバーワンを決する投票コンテスト『ラーメンWalkerグランプリ』で、2年連続「全国総合ランキング第3位」を獲得した「くじら食堂」は、東京・JR東小金井駅北口から徒歩3分という好立地にあるJR中央線沿線屈指の名店です。店主の下村浩介さんはラーメン店を開業する以前、食肉卸の営業マンとして14年間勤務していた脱サラ組。ラーメンファンに絶大な人気を誇る「麺や 七彩」で3年間修行を積んで独立し、開店からわずか1年あまりで、ラーメンランキング上位の常連となる人気店を作り上げました。そんな独立開業を大成功させた先輩・下村さんに、開業までの経緯と人気店経営の秘訣を伺いました。

体力・気力勝負のラーメン修行を支えたのは「ラーメンが好き」というヲタク魂

cont01.jpg――「くじら食堂」の開店は2013年の9月ですが、前職は、食肉卸会社のトップ営業マンだったそうですね。14年勤めた会社を辞めて独立開業するのは大きな決断だったと思いますが。

下村:というよりも、致し方なく、なところもありまして(苦笑)。営業マンの仕事は好きだったんですけど、自分のちょっとしたミスで退職せざるを得なくなったのが独立のきっかけです。当時は結婚して子どももいましたし、家を買ったばかり。もともと独立志向はあったものですから、これまでの自分の経験を活かして開業できるジャンルはないかなと考えました。

――その際に、焼き肉屋かラーメン屋で迷われたそうですね?

下村:いちばん手っ取り早かったのは、前職の経験をそのまま活かせる食肉卸業だったんですが、設備を整えたら、何百万、何千万かかってしまう。そして、肉の卸に直結する焼き肉屋さんも新規開店には1,500万円くらいかかるんです。もっと手を出しやすくて自分の好きな飲食はないかと考えて、火しか使わないラーメン屋ならなんとかなりそうだと思い、32歳で独立を決めたんです。もともとラーメンが大好きで、かなり食べ歩いていました。いわゆるラヲタ(ラーメンおたく)という感じ(笑)。でも作るほうの経験は皆無でしたね。

――そこで、ラーメンファンにはとても有名な「麺や 七彩」で修行をされたそうですね。修行先に選ばれたのは、味に定評があり、自家製麺がセールスポイントのお店だったからですか?

下村:味に定評があることはもちろんでしたが、最大のポイントは話題提供やメディアの使い方が上手いこと。あともう一つ、ラーメンマニアとの繋がりがとても強いお店だったことですね。一般のユーザーさんというのは、ラヲタが発信する情報を見て食べに来るので……。

――あの「麺や 七彩」で修行した人が店を出したという情報も、ラーメン好きに伝わりやすいですね。

下村:開店したときに、お客さんを集めるためのいちばんの近道を考えていました。でも、ラーメン屋をやろうと思ったのは、圧倒的にラーメンが好きだという理由がいちばん。やってみて改めて思いましたけど、好きじゃないとできない仕事ですよ(笑)。厨房が暑いとか、労働時間が格段に多いとか、修行期間はとにかくすべてが辛かったですから(笑)。当時、従業員の数が少なかったのでラーメン作りをすぐに、やらせてもらえたのは良かったですが、「七彩」の考え方は「できるできないじゃなく、やるんだ」「時間はかかってもいいから、妥協はするな」というものだったので、何度もくじけそうになりました。修行も1年間くらいでなんとかなると、ちょっとなめていましたし。でも、始めてみるとそんなに甘いものではなく……結局、「七彩」には3年間いたんですが、その間に2~300万円は貯金を食いつぶし、親にもお金を借りながら修行を終えたんです。

――大変でしたね。

下村:相当、プライドがずたずたになりましたよね(苦笑)。でも、もう後戻りもできない。やりきるしかないと3年間修行して、師匠に「もう店を出せるレベル」とお墨付きをいただいたので、手持ちの200万円を担保に国金(日本政策金融公庫)から500万円ほど借りて開業資金を捻出しました。修行しながらの半年間と、「七彩」を辞めてからの4か月で店舗探しをしていたので、実質10か月くらいが準備期間になりますかね。

緻密なシミュレーションと周辺調査で、客層ターゲットを分析してからの出店

cont02.jpg ――飲食店の開業となれば立地がかなり重要と聞きますが、今の東小金井という場所に出店を決めるまでには、どう考えていかれましたか?

下村:自宅が三鷹なので、できれば近いほうがいいというくらいは思っていましたが、場所はそれほど特定せず、不動産屋さんに頼んで数十件見せてもらったんですね。その中に、今の東小金井の居抜き物件があったんです。東小金井という街にはまったく馴染みがなかったんですが、三鷹・吉祥寺近辺は40代前後のサラリーマンでお金に余裕のある層が暮らしている。外食率も高いでしょうから、飲食店をやるには条件がいいと思い、とりあえず仮押さえして、周辺調査をしましたね。

――調査というのは?

下村:張り込みです(笑)。その頃はもう「七彩」も辞めていたので、不動産屋さんに1週間返事を待ってもらって、当時中華料理屋だったお店の近くで朝晩、人の流れをじっくり調べました。ベッドタウンなので、昼に人が少ないことは分かっていましたから。そこで明らかになったのが、このあたりは単身者が多い。駅周辺は南口に飲食店がわりと多いんですが、店のある北口は少ないんですよ。でも、仕事帰りの人通りは意外とある。だったら、北口を出て徒歩2分くらいで、住宅地に向かう道に面したこの場所はイケるだろうとふみました。そこで、開店時間もあえて夜から深夜にしぼりましたし、実際、近所に吉野屋ができるまで飲食店はうちだけでしたから予想は当たりましたね。

――具体的なシミュレーションも周辺調査ではっきりしたんですね。

下村:そうですね。ここは中華料理店の居抜き物件なんですが、僕は人と話をするのが好きなので、前の店主の方にも話を聞いたんですよ。すると、1日に7万円の売り上げがあるという。1日に7万円なら、僕ひとりでやれば月に50~60万円くらいは蓄えも作れるだろうし、開店すれば1日に7万円以上は絶対に稼げるという確信も持てたので、店舗はここに決めました。ただ、今の場所は駅前の再開発のため5年間でなくなることがわかっていましたが、5年間やってダメならどこへ行っても通用しないので、とりあえずはここから、と決めたんです。

――居抜きの店舗ですと、開店資金もかなり節約できました?

下村:そうですね。ラーメン作りに必要な調理器具は前の中華料理屋の持ち主から譲ってもらったり、安いものをネットで探しまくったり。結果、製麺機を含めて250万円ほど。プラス、内装ですね。もともとあったカウンターがボロボロだったのでそれを自力で作り替え、内装も自分でやって、もう100万くらいかかってしまいました。今思うと、自力でやった内装というのは、やっぱりキレイにはいかない。そこはプロの手を借りて、最初からキレイにしておけば良かったなと、ちょっと後悔しています(笑)。

――開業にあたって、ほかに気をつけたところはなんでしたか?

下村:肉卸時代のツテで肉の仕入れは圧倒的に安くできましたから、売りであるラーメンの値段は近隣でいちばん安くしようと決めたんですよ。それで醤油ラーメンは720円に設定したんですが、そこも反省点のひとつで。今となってはいちばん高い値段設定でも良かったかなと(笑)。

――メニューの種類はどう決められました?

下村:やはり、地元のお客さんを大事にすることが生き残る秘訣でもあると思うので、飽きずに食べてもらえるものがいいですよね。基本的にはラーメンしか作りたくないので、最初はつけ麺もやっていましたが、途中でやめてしまいました。つけ麺は食器も2つ用意しなきゃいけないから、面倒くさいんですよ(笑)。

――それも定番のラーメンの味に自信があってのことだと思いますが、味のほうはいろいろ変えられていると聞きました。

下村:それはね、変えることが楽しいんです、僕自身が。だから、味が変わったねと言われてもいいかなと。もっと美味しくしたいという前提で変えていますし、幸い、不味くなったと言われたことは一度もないですし(笑)。

味がいいのは当たり前。あとは日々の研究と、お客さんとのコミュニケーションが大切

cont03.jpg ――美味しさを極めるために、工夫されていることはなんですか?

下村:やはり毎日の研究ですね。今うちには定番メニューのラーメンと油そばがありますが、その味も毎日いろいろ試しながら微妙に変わっていますし、新しいチャレンジは特製メニューで試しています。あと、人気店の店主仲間でワークショップと呼ぶグループを作って、随時、情報を交換しながら味の研究会を開いています。業界で生き残るためにはまず、話題になることが先決だと思ったので、開店時期が近かった「トイ・ボックス」と「しば田」というラーメン店と一緒にコラボ企画をやり、すごく話題になりました。それがきっかけで、同じ清湯系のスープを追求する気の合う仲間が増えていき、今はメンバー8人でやっています。僕らのほかにも、味の方向性によって店同士のグループがいくつかあるので、今後は違うグループとも交流して、切磋琢磨していけたらなと思ってますね。

――数多く開催されるグルメイベントの中でもラーメンはとても人気ですから、味を認め合ったみなさんが集まるラーメンイベントなどもやってもらえたら、ファンは嬉しいですよね。

下村:そうですね、今のラーメンイベントはメディア主導で行われるものが多いので、将来的には自分たちの手でできたら面白い。そういう理想はありますね。

――「くじら食堂」をオープンされたのが、2013年9月。瞬く間に繁盛店になられました。成功の秘訣はなんだったのでしょうか? 話題性というのは、最初から意識されていたようですが。

下村:最初は1日70食が目標でした。ラーメン屋は1日100食出れば繁盛店と言われますが、2か月くらいでそのラインもクリアしまして、さすがに僕ひとりでは切り盛りできなくなったので従業員を1人雇って、今に至ります。話題性でいうと『ラーメンWalkerグランプリ』を獲得したことが大きかったですね。でもまぁ、話題性のものは食べに来てくださる人が、1人でも増えてくれたらいいなという気持ちからのものなので。メディアの露出をきっかけにお客さんが来てくれて、味がちゃんとしていれば常連さんにもなっていただけますから。なので、日々の営業で大事なのは、とにかく味と接客だと思っています。味がいいのは当たり前。でも、いくら美味しくても、店員の態度が悪くて二度と行きたくない店というのは僕も経験ありますから、まずはお客様第一ですよね。それは従業員にも徹底していますし、僕もお客さんと話をするのは好きなので、できるだけこちらから話しかけてコミュニケーションするように心掛けています。

――経営を維持するうえで、意識していることはあります?

下村:ビジネスであることを忘れないことですね。個人経営のラーメン屋は職人肌と思われがちですし、実際、人気店の中には味を追求しすぎて採算が取れなかったり、1杯のラーメンがすごい値段になっているところもあります。でも僕が望むラーメンはもっと手軽に食べられるもの。地元でふらりと立ち寄れて、美味しいラーメンが食べられたら幸せじゃないですか。ラーメンを特別な食べものにはしたくないので、僕はビジネスとしてちゃんと成立する限度の中で、いちばん美味しいラーメンを作れるように頑張りたいなと思うんです。

――「くじら食堂」自体をさらに大きくすることは考えているのでしょうか? 最近は、海外進出を含めて大々的にチェーン展開をしていくお店も多いようですが。

下村:理想なのは、自分の味にとことんこだわる店を一店舗に集中させて、うちの味を手軽に楽しんでいただける店を何十店舗も展開すること。やっぱり、店を「仕事として」やっていくには、儲かること、儲けることは大切。儲けたお金を、自分のこだわりにつぎ込んで、より美味しいラーメン作りができたらいいなとは思います。でも現実的なところでいうと今と同じ多摩エリアに4、5店くらいは支店を出したいですかね。あとは、僕の故郷でもある北海道の釧路市にいつか店を出して、家族に切り盛りしてもらえたらいいなという夢はあります。親孝行にもなりますしね。

――このサイトは、独立開業を目指す方も多く訪れます。成功した先輩からアドバイスをいただけますか?

下村:これは、ラーメン屋に限ったことではないですけど、やっぱり自分の仕事を好きになることは大事だと思いますね。僕も未だに趣味と実益を兼ねて、休日にはラーメンの食べ歩きをするくらいのラヲタです(笑)。あとは忍耐力。そして仲間。僕も一緒に研究したり、励まし合ったりできるワークショップの仲間はとても大切な存在だと思っています。もっと細かいことでいうと、節約の心かな? 自分がお客だった頃は気づかなかったことですが、水の1杯、調味料の一振りも全部経営に跳ね返ってきますから、視野を広く持ってバランスのいい店作りを僕もやっていきたいですね。

ラーメン屋 くじら食堂

184-0002 東京都小金井市梶野町5-1-1 nonowa東小金井
月~土/11:00~15:00 17:00~25:00 
日曜祝日/11:00~15:00 17:00~24:00
※取材時点の情報です

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