1. 独立・開業・フランチャイズ情報TOP
  2. マイナビ独立マガジン
  3. 先輩開業インタビュー
  4. 東大卒の元TOTO社員が30代でファッションデザイナーに。遅咲きで見つけた新たな道
先輩開業インタビュー

東大卒の元TOTO社員が30代でファッションデザイナーに。遅咲きで見つけた新たな道

若い頃にやりたかったことや、夢に一歩踏み出す勇気がなくて、サラリーマンとして働きはじめた方は少なくないはず。でも、仕事を続けていくなかで「自分にはやりたいことがあった」と気づいたとき、大きく人生の舵を切る勇気も必要なのかもしれません。
国内のショップのみならず、中国、台湾、香港からも買いつけがある注目のファッションブランド「sneeuw(スニュウ)」。ブランドオーナーである雪浦聖子さんは、住宅総合機器メーカーのTOTO社員からファッションデザイナーへと大胆な転身を図った方です。「やりたいことをやるなら30歳までに」と決意し、大手企業を退職。服飾専門学校に通い、夢を叶えた雪浦さんがどうやってデザイナーになり、成功できたのか。デザイナーになるためのノウハウと、こだわりを聞きました。

クリエイティブなものづくりに憧れはあったけど、才能の世界に飛び込む勇気がなかった

――雪浦さんは東京大学工学部を卒業後、TOTO株式会社に4年間勤務ののちに退職し、服飾専門学校に入学。そして30代のときに念願のファッションブランドを立ち上げたという、とてもユニークな経歴をお持ちですね。

雪浦:もともと、母親が洋裁をやっていたので子どもの頃からファッションには興味がありましたし、学生時代からものづくり、クリエイティブな仕事には憧れていました。でも、クリエイティブの世界は自分の才能がすべて。その厳しい世界に飛び込むのが怖くて、芸術系の大学を受けずに東大に進み、クリエイティブの世界により近い、プロダクトデザインやインテリアデザインを手がけたかったというのが、TOTOに入ったきっかけでした。

――TOTOといえばトイレ市場国内トップシェアを誇る一流企業。将来的にも有望な会社ですが、なぜそこを辞めて、まったく畑違いのファッション業界を目指そうと思ったのですか?

雪浦:入社したときはデザイン部に入りたかったのですが、その夢が叶わなかったことがまずありました。配属されたのがウォシュレットを開発する部署だったのですが、開発に関わっている人数がとても多く、また、世の中にいる大勢の方にいろんな環境で使われる製品ゆえ、安全性のチェックなども厳しく、「ものづくり」をするうえで自由度が高いとはいえませんでした。

大企業というのは「みんなが使って、みんながいいと思う」ものを作って売るのが仕事。でも働くうちに、もっとパーソナルなものづくりがしたいと思うようになりました。もともと興味があった洋服をつくる仕事ならそれができるのではと。そう思って4年間勤めたTOTOを辞め、服飾専門学校でデザイナーの勉強を始めようと決心しました。

――よく思い切れましたね。

雪浦:20代のうちにやれることをやっておきたかったし、人生を後悔したくなかった。それに、当時はもう結婚していたので、ここで自分が失敗しても生活はなんとかなる。主人も好きなことをやりなさいと賛成してくれましたし、友人にアパレルメーカーの人がいたので相談もできました。

まずは専門学校で服飾の技術を身につけて、企業デザイナーとしてキャリアを積むのが一般的

――なるほど、理解ある家族に背中を押してもらえたのですね。そしてファッションデザイナーを目指して、雪浦さんは服飾専門学校に入ることを選択されましたが、それが一般的な方法なのでしょうか?

雪浦:どんなデザイナーを目指すかによっても違うのでしょうが、服飾の技術を身につけるにはやはり専門学校が一番の早道だと思います。いずれ独立してブランドを持ちたいという方でも、多くは専門学校を出て服飾メーカーに就職して企業デザイナーとしてのキャリアを積むのが一般的ではないかと。私が通ったエスモードジャポンという服飾専門学校でも、まずはアパレル企業への就職を目指す学生が多かったですね。

――服飾専門学校もたくさんありますが、雪浦さんはなぜエスモードジャポンを選んだのですか?

雪浦:資料をたくさん集めたり見学に行ったりして検討しましたね。エスモードジャポンは日本では比較的新しい学校ですが、パリの本校は170年ほど前に設立されていて歴史も長く、通っている人の3分の1が社会人経験者で、3分の1が大学卒業生。学生の年齢や経歴の幅が広くて、自分に向いている学校だと思いました。

実際、入ってからも、技術的なこと以上に「あなたはどういうコンセプトで洋服をつくりたいのか?」という、デザイナーとしてのポリシーを培う指導が徹底されていて、とてもクリエイティブな環境に身を置けました。実践的な授業で場数も踏めましたし、作品に対して周囲の意見を聞くことで、自分がどういうデザイナーになって、どんな服をつくりたいのかという心構えをしっかり持てた。この経験は、独立してブランドを立ち上げたときに、とても役立ちました。

卒業後はアパレル会社でブランド経営に必要なノウハウを学んだ

――先ほど、多くの卒業生が企業デザイナーを目指すとおっしゃいましたが、雪浦さんは卒業後すぐに自分のブランド「sneeuw」を立ち上げましたね。就職は考えなかったのですか?

雪浦:はい、考えなかったです。もともとブランドを立ち上げる目的で学校に通ったこともありますし、社会人経験はあったので、いきなり独立してもいいんじゃないかなと(笑)。ただ、学校で服をつくることは学びましたが、ブランドを経営するためのノウハウは教わっていないので、その勉強のために8か月間、私がつくりたい服のテイストに近かったブランド「YEAH RIGHT!」のアトリエでアルバイトをしました。

そこでは、商品を企画して展示会に並べるまでの実際の流れを実地で学ばせてもらいました。「YEAH RIGHT!」のアトリエは雰囲気がよく、この業界でやっていきたいという意欲がさらに湧きましたし、工場なども紹介していただけて、いまでもよいおつき合いがあります。

起業費用は100万円。まずは「展示会」を開いて関係者の方々に商品を見てもらった

――ちなみに、個人ブランドのビジネスというのは、どういうやり方で成り立っているのですか?

雪浦:店舗をもたない個人ブランドのたいていがそうだと思いますが、いわゆるアパレルのセレクトショップなどから注文をいただいて、店舗で売っていただくのが一般的です。そのためには、春夏ものと秋冬ものの新作サンプルを出展する「展示会」と呼ばれる見本市、商談会を毎年2回(ブランドによってはそれ以上のところもあります)開く必要がありあます。

最初はアパレル企業との交流もないので、デザイナー自らがお店にDMを送ったり、電話をしたりといった営業をかけて関係者の方に足を運んでもらいます。展示会に来てくださったバイヤーさんに、気に入った服を注文していただき、展示会終了後に商品をつくって納品するのが基本ですね。

それがショップに並んで、お客様の評判がよければ、よりショップとのおつき合いが広がり、そこからまたほかのお店に知っていただくこともある。そうやって、注文が増えていくこともあります。

――ということは、個人ブランドを立ち上げる際は、まずは「展示会」を目指した準備が必要になるのですね?

雪浦:はい。まずは展示会に出すサンプルをつくることがスタートですね。機材としては、ミシンとパソコンがあれば、とりあえずは始められます。最初は自宅をアトリエにして自分でデザインを描き、パターン(衣服製作の原型をおこす型紙のこと)をつくり、縫製もやっていたので、絶対に必要なのは布代などの材料費、それと展示会を開くための会場費やDMの作製、発送費用ですね。

なので、私の場合はブランド立ち上げ時の初期資金は100万円あるかないかでした。展示会後は、注文した商品を生産するための材料代や、縫製を依頼する工場への製作代が必要になっていきます。その費用は初回の展示会にどれだけオーダーが来るかで、ずいぶん左右されますね。

――まずは初回でどれくらい用意されたのですか?

雪浦:私は最初の展示会で18種類ほどのデザインサンプルをつくり、その後は展示会を重ねるごとにデザインの数を増やしていきました。サンプル数が多くなれば作業も増えるので、一人では手が回らなくなる。すると必要な経費も増えていきます。私はパターンを自分で引いていますが、ブランドによってはパターンから外注しているところも多いです。縫製は現在、サンプルの段階から工場にお願いしています。

業界で注目されているバイヤーの目利きと、ポータルサイトへの掲載が知名度を上げるチャンス

――そうしてビジネスを拡大するためには、「sneeuw」というブランドの知名度を上げることが大切ですね。

雪浦:そうですね。全国のショップなど、ファッション業界の人達は、目利きのいいバイヤーさんの動向をSNSやブログなどを通してチェックしています。なので、敏腕バイヤーさんが展示会に来て注文していただくと、地方のショップにも評判が広がっていくということも多いです。まずは置いてくださるショップを増やすことが、ブランドオーナーの一番の目標ですね。

――アパレルの世界でも、やはり口コミやSNSの効果は高いのですね。

雪浦:あとは、バンドのメンバーの方や、スタイリストさんが気に入ってくださり、ミュージシャンのトクマルシューゴさんやASIAN KUNG-FU GENERATIONさんの衣装を担当したことがきっかけで、新たなつながりに広がることもありました。「FASHION PRESS」や「Fashionsnap.com」のようなウェブメディアの記事や、洋服を貸し出したテレビ番組のクレジットを見て連絡をくださったスタイリストさんもいましたね。

自分のつくりたいものがつくれているか、お客さんに届いているかの問いかけを忘れてはいけない

――2009年にスタートした「sneeuw」ですが、「これでやっていける」という手応えはいつ感じましたか?

雪浦:最初は当然、知名度もないので、友人知人に洋服を買ってもらうところからのスタートでしたね。転機となったのは、立ち上げて1年目くらいのときに、自分の作品をぜひ見てもらいたいと思っていた、人気アパレルのバイヤーさんに、幸運が重なって見ていただけたことです。その後、お店においてくださることになりました。

――現在もお一人で運営しているのですか?

雪浦:いまは、2人のインターン生に手伝ってもらっています。でも基本的には私一人でやっているブランドなので、人を増やしてブランドを大きくして派手に展開したいという目標はないんです。それよりも、自分のつくりたいものがつくれているか、私のコンセプトに共感していただける方に、ちゃんと届いているかが大切。その気持ちがないと、長く続けていくことはできないなと感じています。

――そんな雪浦さんが思う、デザイナーになるために大切なことをいくつか挙げていただくと?

雪浦:まずは、どんなブランドにしたいのかというコンセプトをしっかり持つことですね。そのためには、自分を見つめる時間が必要ですし、それを確立するには同じ目標を持つ人たちと切磋琢磨できる環境にいることも大事。

そして、デザインのイメージを広げるためのインプットを増やすこと。私も洋服の展示会やアートの展示、ライブにも多く足を運びますし、ジャンルを問わず、いいと思う作品はたくさん見たい。ただし、見過ぎないことも大事で。やはり信じるのは自分の感性ですから、影響を受けすぎないようにバランスよくいたいですね。

通販が盛んないまは、若い子が「ものづくり」を始めやすい環境だと思う

――ちなみに、流行というのは、どの程度意識されますか?

雪浦:アパレル業界の流行や、ほかのデザイナーのInstagramなどを見て、「時代の空気感や気分」を知るのはアリだと思いますが、私は流行っているからという理由でものをつくらないようにしています。でも周りのブランドと示し合わせたわけではないのに、つくりたいものが重なることもよくあるんです。例えば、「キルティングがかわいいな」と思っていたら、ほかのデザイナーも取り入れていたとか。それが、「時代の空気感や気分」というものなのかも知れないのですが、興味深い出来事です。

――では雪浦さんが、今後やっていきたいことはなんでしょう。

雪浦:昨年から食器などをデザインするプロダクトブランド「Walternatief(ウォルタナティフ)」を、「STOF(ストフ)」のデザイナー谷田浩さんと始めました。洋服以外でも、いい作品をつくっていけたらと思います。

個人的には、一人でやっているぶん、抱えている仕事の幅が広いので、効率よく正確にこなせるよう、環境を整えていきたいです。ブランドデザイナーって、技術があれば1人で始めやすい業界なんですね。近年はインターネット通販なども盛んなので、若い方でもデザイナーという仕事を始められるチャンスは大きいと思います。私も自分自身を磨きながら、自分がいいと思う「ものづくり」を長く続けていきたいですね。

sneeuw

http://www.sneeuw.jp
Instagram @sneeuw_y
取り扱いショップ
DESPERADO、Meetscalストア、iroha、paperbirds、Palm maison、PartiR ほか
※取材時点の情報です

sneeuw

 マイナビ独立マガジンの最新記事

一覧を見る

 マイナビ独立フランチャイズマガジンの最新記事

一覧を見る
PAGE TOP