要介護者と介護士、どちらも満足のいくサービスを目指して。現場を知るからこそ生まれた訪問介護サービス
年々高齢化が進む日本では、介護問題は避けては通れないものになっています。膨れ上がる介護費用や、家族の介護でのストレスや疲れ。また、介護の現場での労働環境や低賃金など、悩みは尽きません。そんな状況の中、要介護者やその家族、そして介護士の待遇などの、介護環境を改善すべく新しいサービスを立ち上げたのが、イチロウ株式会社の代表、水野友喜さんです。介護士として現場で5年、管理職として5年働いた経験から、介護業界の課題を改善しようと起業。公的介護保険では支援を受けられない在宅介護ニーズに対して、オンライン上で介護士をマッチングし派遣する訪問介護サービス「イチロウ」を立ち上げました。今回は、介護業界の変革を目指す水野さんに、起業のきっかけや会社の運営についてお話を伺いました。
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身内に利用してもらえる質の高い介護サービスを提供したい
――事業内容について教えてください
訪問介護サービス「イチロウ」の提供をメイン事業にしています。介護保険制度を利用しない保険外(自費)の訪問介護サービスで、あらゆる介護・生活支援を好きな時、好きな時間提供します。特徴としては、プロの介護士をいつでもすぐに自宅まで派遣できることです。通常の介護保険を適用した訪問介護だと、1回利用するのに1週間、下手をすると1か月ほど時間がかかってしまうものを、イチロウなら最短5分でお近くの介護士とマッチングして、2時間ほどで派遣することができます。
――どのようなエリアで展開しているのでしょうか?
私たちがサービス提供しているのは、愛知県と、一都三県(東京・神奈川・千葉・埼玉)です。この5つのエリアで約1,800人の介護士が登録していて、利用者から依頼を受けると、即時案件が介護士へ伝わるシステムを構築しています。だからこそ素早くお客様に介護士を派遣できるというわけです。通常の訪問介護だと、複数の事業者が介在するため派遣までに時間がかかります。そうした手間を省き、「必要な時にすぐに来てもらえる」サービスがイチロウであり、保険外だからこそできることなのです。
――必要な時にすぐ対応してもらえるのは助かりますね
実は、利用者へのスピーディーな対応を実現している要因の一つが、介護士への待遇なんです。例えば、当日の依頼だと利用料金が少し高くなる設定になっていますが、その分、介護士の時給も上がる仕組みにもなっています。急な当日案件だけれども、代わりに報酬が上がるので、介護士からの応募が集まりやすくなっています。各エリアに優秀な介護士がたくさんいるので、急な依頼でも高い確率でマッチングできるのがイチロウの強みでもあります。
――なぜ「イチロウ」と名付けたのでしょうか?
私が介護現場にいた頃は、「自分の両親には勧められないよね」という言葉をよく耳にしました。自分の両親に勧められない品質のサービスを提供するのは、とても悲しいことですよね。そこで、私が新しく会社を立ち上げるなら、身内にも自信を持って利用してもらえる質の高いサービスを提供したいということで、祖父のイチロウという名前をそのまま取り、サービス名と社名にしています。
介護業界で「がんばったらがんばった分だけ正当に評価される」を目指す
――介護業界に興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか?
高校の時の進路説明会で、医療ソーシャルワーカーとして働くOBが来てくれました。病院といえば治療する場所ですが、医療ソーシャルワーカーは退院後の生活を支援する仕事と聞いて、とても大事な役割だと感銘を受けたのです。私もその道を目指そうと即決しましたが、医療ソーシャルワーカーになるには大学を出て資格を取らなければなりません。しかし、家庭の事情で学費を捻出できなかったので、介護の専門学校へ行き、働きながら通信の大学に編入しようと考えました。それが介護という領域を知るきっかけでした。
――最初は別の職業を目指していたのですね
そうなんです。でも、学費を稼ぐ必要があったので、専門学校を卒業した後は特別養護老人ホームで働きました。23歳くらいの頃にようやく専門学校の学費が払い終わったので、社会福祉士の資格を取るために通信制の福祉系大学へ通い、3年かけて資格を取得しました。ただ、その頃には介護の現場を見ていたので、介護業界がどれほど多くの課題を抱えているかを知っていました。また、その分、やりがいがある分野だとも感じていて、結局はそのまま介護業界に残ることにしました。その後は、老人ホームを運営する会社に転職をして、そこで施設の立ち上げやマネジメント業務に携わらせてもらいました。
――介護業界の課題とはどんなことですか?
まず一つあげるなら、介護士の待遇や社会的評価が非常に低いことです。それに、他の業界に比べても大変な割に給料が安い。でも、介護業界で働いている人たちは体を酷使しながらがんばっています。それなのに、世間的には「よくそんな業界で働いているね」と言われることが少なくありません。これは、社会保険の仕組みがこのような労働環境にさせていると思っています。制度として国が取り決めた介護報酬がそもそも低いので、「がんばったらがんばった分だけ給料が増える」という当たり前のことが実現しにくいのです。
――利用者を守る分、働いている側に負担がかかる、と
そうです。でも、課題はそれだけではありません。私は老人ホームでずっと働いていて、できるだけ良い介護を提供しようと思っていました。でも、施設にいる人たちの望みは、どこまでいっても「家に帰りたい」だったんです。結局、施設への入居は家族にとって楽になりますが、本人はつらい思いをしています。本来は在宅で家族の負担なく介護ができる環境を作ることがベストなのですが、それには、柔軟にサービスを利用できる仕組みが必要です。利用者側と介護士側、どちらの課題も解決するために立ち上げたのがイチロウだったというわけです。
「使っていただけないでしょうか?」オペレーションもない中、お客様を訪問
――起業時からイチロウのサービスを展開していたのですか?
最初は、老人ホーム紹介業と、居宅介護支援事業の2つの事業で、2017年に起業しました。冬のボーナスの30万円で起業したので、株式会社を立ち上げるだけで資金をすべて使い切ってしまった苦い思い出があります。まったくお金がない中、仕事の依頼もなくて、本当に困っていた時、知り合いが「会社の経理が辞めたから手伝ってくれない?」と声をかけてくれて。週2日ほど、経理の入力作業と、老人ホームの夜勤で働くことで、半年間食いつないでいました。そうしているうちに、少しずつ紹介などでお仕事をいただけるようになっていきました。
――かなり苦労されたのですね
縁があり、老人ホームのコンサル業を始めてから、売上として月次で100万円を超えるようにはなったのですが、結局、介護業界の課題を解決するような事業ではないと思い始めました。やはりもっと業界が変わるような、ダイナミックなビジネスを作りたいと考え、未上場企業や起業家向けの支援プログラム「アクセラレータープログラム」を受けることにしました。その中で、メンターの一人から「介護士が良い収入を得る仕組みを作ることに挑戦すべきなのでは?」と言われ、はっとしました。それで、介護問題の本質に切り込んでいくことがスタートアップとして大事だと思い、イチロウを考案しました。
――イチロウを立ち上げてから、どのように展開したのですか?
最初はホームページを自分でこしらえて、素人ながらにリスティング広告を打ちました。始めは間違えて全国に向けて広告を打ってしまい、名古屋で始めたのに静岡から問い合わせが来るといった失敗などもしています。それでも名古屋で初めて問い合わせが来た時は感動しました。でも、実はその時、まだ何のオペレーションも作っていなくて、介護士は私しかいなかったので、お客様のところへ行き、「サービスを作ったばかりで、何の仕組みもないし、料金しか決めていないのですが、それでも使っていただけないでしょうか?」と、正直に話してみました。そしたら理解してくれて、利用していただけました。それがイチロウの初めてのお客様で、本当にありがたかったです。
――当時、一番大変だったことはなんですか?
とにかくお金の面で苦労しました。最初に日本政策金融公庫で融資の申込に失敗してしまい、その後の審査で通りにくくなってしまったんです。私の場合、自己資金もない中でのスタートだったので、「準備不足ですね」とNGになってしまって。インターネットなどで調べて融資を申し込んだのですが、もっと商工会や税理士に相談してから進めればよかったと後悔しています。これから起業する方には、資金調達に関しては焦らず、先輩起業家などにアドバイスをもらうことをおすすめします。
東京進出後半年で名古屋の売上を抜くも、クレーム処理に奔走
――名古屋から首都圏に進出したきっかけはなんですか?
スタート時は、保険外という利用料金が高い領域で、それほどのニーズがあるのか不安でした。ですが、名古屋でお金をかけても自宅介護にこだわるお客様がぽつぽつと現れるようになり、やはり求められている分野なのだと自信を持ちました。こうなると介護士にも高い賃金を支払えるようになり、好循環が生まれます。そう考えた時、やはり東京の市場が気になり、早めに進出して仕組み化し、市場を取りに行ったほうがビジネス的には良いと考えました。いろいろヒアリングしたら、やはり関東にはイチロウのようなサービスがなかったこともあり、2020年に進出しました。
――東京でのスタートは順調でしたか?
半年で名古屋の売上を抜き、たしかな手応えを感じました。ただ、最初は介護士の登録者が少ない状態でサービスをスタートしたので、お客様が求めるサービスの質と、提供できるサービスの質がうまくマッチングしないことがあり、クレーム対応も少なくなかったですね。私もお客様のご自宅へ伺っては、よく頭を下げていましたね。これはきちんと仕組み化しないと、クレームが多発して信用をなくしてしまうと、怒られながら学んでいきました。
――リスティング広告以外で、周知活動として力を入れていたことはありますか?
いわゆるPR(パブリックリレーションズ)は大事だと思い、イチロウについてのプレスリリースには力を入れていました。サービス名を覚えてもらえるようにロゴ入りTシャツを作ったり、周年記念にパーカーを作ったりして取材の時などに着ていますね。こうした草の根的な活動は地味に大事だと思っていて、リスティング広告は目の前のニーズを取りに行くイメージですが、まだニーズに気づいてない人たちにサービスを知ってもらう手段としてPR活動は欠かせないと思っています。
清水の舞台ほどの高さもなければ、意外とうまく着地できるのが起業
――事業を立ち上げてよかったと感じる瞬間はどんな時ですか?
社員みんなでご飯を食べている時ですね。月に1回、社内で食事会をしているのですが、その時にみんなが楽しそうに会話しているのを見ると「ああ、起業してよかったな」と思います。起業したての頃に辛かったことは、自分の信念を疑わず持ち続けることでした。介護保険制度の限界について、一人で問題提起し続けないといけなかったのですが、今は共感してくれる仲間がこんなにも増えたんだと思うと、やっとここまで来ることができたと達成感がありますね。
――今後予定している展開があれば教えてください
当面はイチロウを全国に広げていくことを目標に動いています。来期は11都市まで拡大予定です。かなり強引なスケジュールになりますが、とにかくスケールすることを最優先事項にしています。
――最後に、独立・開業を目指す読者にアドバイスをお願いします
起業する前は、清水の舞台から飛び降りるぐらいの覚悟をしていました。ただ、実際に飛び降りてみると、すぐに足場があり、なんとかなったという感じです。この例えはある起業家がされていたのですが、本当にその通りで、すぐ階段があるようなイメージです。何か始めたいなら勢いも必要です。二の足を踏んでいるなら、ぜひ飛び込んでみることをおすすめします。