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2019/12/3
インタビュー

会社を辞める直前まで独立するつもりはなかった!? なぜIT企業のサラリーマンが、金沢屋のFCオーナーに転身したのか?

ふすま・障子・網戸の張替専門店として全国にチェーンを展開している「金沢屋」。その「狛江成城店」のフランチャイズオーナーとして、2018年9月に独立・開業した菅沢 由恭(すがさわ よしやす)さんは、元々はIT業界のサラリーマン。30年近くにわたって外資のIT企業で働いてきた菅沢さんが、異業種の「金沢屋」に加盟した理由とは? そもそも、なぜ51歳で会社員を辞め、フランチャイズでの独立・開業を選んだのか? 開業当時を振り返り、独立に至る思いや経緯を率直に語っていただきました。

独立・開業のきっかけは、たまたま見かけた「金沢屋」の加盟店募集広告。「フランチャイズという選択肢もアリだな」と思った。

菅沢オーナーメイン

──菅沢さんは、51歳のときに脱サラして独立・開業されたとお聞きしています。会社員の頃から、独立しようと思われていたのでしょうか?

菅沢:いえ、まったく思っていませんでした(笑)。独立しようと思ったのは、「金沢屋」とフランチャイズ契約を結ぶ1カ月前ですね。

──え、契約の1カ月前ですか? 元々独立志向だったわけではないんですね。

菅沢:そうですね。実は、次の就職先が決まる前に会社の退職日を先に決めてしまい、その日が迫っていました。そんな時に、たまたまテレビで流れていた「金沢屋」の加盟店募集広告を見て、初めて独立を意識しました。「なるほど!フランチャイズという手があったか」と。その時点では、会社を辞めて次に何をしようか決め兼ねているところでした。業種や職種は一回リセットして考えるつもりでしたが、「結局は、同じ業種でどこかの会社に勤めるんだろうな」くらいに思っていました。

──ということは、そのときに見た広告が「金沢屋」でなければ、別のフランチャイズ本部と契約していた可能性もあるということですか?

菅沢:いや、それはないですね。もちろん、他の広告でも「フランチャイズ」という仕組みを意識するきっかけにはなったかもしれませんが、契約に至ることはなかったと思います。
「金沢屋」に惹かれたのは、事業自体に興味が湧いたからなんです。「今どき、ふすまで儲かるの?」と新鮮な驚きがありましたし、すごくニッチな領域を攻めているところが、私の志向にマッチしたんですね。それに、元々手先が器用なので、直感的に「この仕事だったら、自分にもできるな」と思いました。子供の頃は、ふすまや障子が身のまわりにたくさんありましたからね。

──「ニッチなところが自分の志向とマッチした」というのは面白いですね。具体的にはどういうことでしょうか?

菅沢:「ストレージ」という言葉はご存知ですか? コンピュータなどを構成するパーツの1つで、データを長期間保管しておくための記憶装置のことです。私は会社員時代、この製品のマーケティングやビジネス開発などに携わっていました。IT業界の中でも、どちらかというとニッチな領域で詳しい人があまりいないんですね。だから、「知識があるだけで重宝がられる」という世界でした。
そういう業界でキャリアを積んできたので、「みんなが知っている業界で競争する」よりも「知っている人が少ない分野で勝負する」ほうが自分に合っている気がしたんです。ニッチであるほど競合が少ないわけですから、知識を身につけてしまえばこっちのもの。周りから感謝されやすいことも、これまでの経験上わかっていました。

──なるほど、それで「金沢屋」に興味を持ったんですね。フランチャイズという仕組みについては、どのような印象でしたか?

菅沢:それまで「フランチャイズ」という単語は頭の片隅にもありませんでしたが、「金沢屋」の広告を見ときに感じたのは「アリだな」ということ。次のキャリアとして会社員にこだわっていたわけではありませんし、かといって自分で事業を起こすほどの算段もコアなスキルもありませんでした。フランチャイズは事業を成功させるための仕組みができている。だったら、「これを借りれば良い」と思いました。

募集広告を見てから契約に至るまで、たったの1カ月。「自分にもできる」という直感を信じて判断した。

菅沢さんインタビュー

──そもそも勤めていた会社を辞めて、新しい仕事をしようと思った理由はなんだったのでしょうか?

菅沢:会社を辞めようと思った理由は、1つではありません。直前に勤めていたのは、40代半ばで転職したIT系の商社でした。その会社も含めて、大学を出てから30年近く外資のIT企業に勤めていましたが、ずっと英語が苦手で思うように仕事を進められないフラストレーションが溜まっていました。また、担当していたストレージ関連の仕事も会社の方針で不本意な結果に終わってしまい、やりたいことができないストレスも感じるようになりました。
そういう状況がいろいろと重なって、前向きに仕事に取り組めなくなってしまったんです。嫌々仕事をするようになって、上司からの指示に反発することも増え、「これはハッピーじゃないな」と。「自分の思いを大事にして働きたい」と思うようになり、自分の中で「この日に辞めよう」と退職日を1年後に設定しました。それまでに次の仕事を決めようと思っていたんですが、結局何も決まらないまま予定日の1カ月前になってしまい、とりあえず退職の申請だけ済ませました(笑)。

──その後、「金沢屋」の募集広告を見たわけですね。

菅沢:確か、「金沢屋」の広告を見たのは、退職の申請を出してから1週間後だったと思います。その翌週には説明会に参加し、本部の担当者から詳しい説明を聞きました。イメージとのギャップはありませんでしたし、不安を感じることも一切ありませんでした。
一応、説明会の後に1週間だけ検討する時間をいただきましたが、「この仕事なら自分にもできる」という印象は変わらなかったので、フランチャイズ契約を結ぶことにしました。契約書にサインをしたのは、退職から1週間後。退職を申請したときには、まさか自分がフランチャイズに加盟して独立・開業するとは、夢にも思っていませんでした(笑)。

──広告を見てから契約に至るまで1カ月というスピードだったわけですが、事前に収支を計画したり、シミュレーションする時間はあったのでしょうか?

菅沢:もちろん、本部から資料は提示されましたが、私自身はあまり気にしていませんでした。アレコレ頭の中で考えて理屈をこねても、良い判断にならないと思ったんです。細かくシミュレーションをしたところで、100パーセントその通りになるわけではありませんし、自分の感じるままにチャレンジしようと思いました。 元々、次にやることも決めていない状況でしたから、「失敗しても良いや」「食べることに困ったらアルバイトでもやろう」くらいの開き直った気持ちでしたね(笑)。

──開業資金については、すべて自己資金でまかなったのでしょうか?

菅沢:そうですね。独立するために準備していたわけではありませんが、それまで蓄えていた貯金ですべてまかなうことができました。加盟金も含めて開業資金が手ごろだったことも、「やってみよう」と思えた要因の1つですね。

身内からは「表情が変わった」という声も。独立・開業してから「しかめっ面」で仕事をすることがなくなった。

菅沢さん仕事風景

──フランチャイズ契約を結んだ後、研修や準備期間を経て2018年9月に「金沢屋」の狛江成城店を東京都狛江市に開業されます。狛江という場所を選んだのは、なぜでしょうか?

菅沢:単純に、私が狛江に住んでいるからです。それ以外に理由はありません(笑)。今借りている物件は、原付バイクで自宅から5分の立地ですごく便利なんです。元々は和菓子屋さんだったらしいんですが、奥行きがあって車も屋内に停められるので、とても使いやすくて気に入っています。

──菅沢さんが独立・開業されてから1年が過ぎました。最初の1年を振り返ると、どのような印象ですか?

菅沢:1年目は「とにかく仕事を受けるフェーズ」と位置づけ、どんな依頼でも受けるようにしました。経験がまったくないわけですから、まずは場数を踏んで技術や対応力を高めようと思ったんです。最初は低価格の小さな仕事が中心でしたが、お客様に顔を覚えていただいて信頼を得ることが大切だと考えて、ひたすら頑張りました。お客様に「どんなことでも相談してください」と伝えていたので、中には「猫を助けてほしい」という依頼もありました(笑)。振り返ってみると、「毎日、日曜大工をしている」という感じでしたね。

──1年やってみて、意識や考え方は変わってきましたか?

菅沢:そうですね。自分自身のスキルが上がっていくにつれて、「時間の使い方」を意識するようになりました。決まった時間の中で、いかに自分のスキルを活用して時給を上げていくか。つまり、どうすればもっと効率よく売上や利益を上げられるのか。そういうことを考えるようになってきましたね。

──そのために、具体的に取り組んでいることはありますか?

菅沢:「金沢屋」では、ふすまや障子、網戸の張替えだけでなく、家の内装・外装に関するあらゆる依頼に対応することが可能です。自分自身が元請けとなって地域の職人さんたちと連携し、リフォーム工事や塗装、庭の剪定なども請け負うこともできます。
そうした多くの選択肢がある中で、以前は「1件でも多くの仕事を」と考え、チラシでは「低価格」を謳うことが多かったのですが、最近は、技術力が必要な高単価の仕事や元請けの仕事を狙っていく戦略に変更しました。意識的にチラシのデザインやアピールポイントを変えることで、少しずつ期待通りの成果が出始めています。
また、その戦略の一環として2店舗分の営業エリアを取得し、商圏も拡大しました。新しいマーケティング戦略で、どのように売上が変わっていくか。向こう1年やってみて、結果を見てから次の展開を考えようと思っています。

──菅沢さんは会社員時代もマーケティングに携わっていましたが、その頃の経験が今に活きていると感じることはありますか?

菅沢:もちろん、あります。常に戦略を考えるクセがついていますし、新しい商品やサービスを市場に認知させるためには、最初の勢いが大切だということも理解しています。マーケティング理論で言うところの「キャズム=溝」を乗り越えるためには、猛烈な馬力が必要なんです。最初の1、2年が勝負だとわかっているので、忙しくてもまったく気になりません(笑)。

──菅沢さんが「金沢屋」のオーナーとして独立した背景には、「ハッピーな気持ちで働きたい」「自分の思いを大切にしたい」という想いがありました。今、その想いは実現できていますか?

菅沢:今は昔より忙しく働いていますが、変なことに気を回す必要がなく、お客様だけを見ていれば良いのでストレスがありません。頑張った分だけお金として返ってきますし、繁忙期を過ぎれば暇になることもわかっていますから、気は楽ですね。それに、電車通勤がなくなったことで疲れ方がだいぶ変わりました。会社員時代はそれが当たり前でしたが、今になって思うと満員電車の通勤が心身の負担になっていたんですね。
身内からは、「独立してから表情が変わった」とよく言われます。以前は、ずっと「しかめっ面」で仕事をしていましたから、自然と表情が強張っていたんだと思います(笑)。今のところ、「独立しなければ良かった」と後悔したことは一度もないですね。

──最後に、今後の目標を教えてください。

菅沢:自分のスペシャリティをどこに定めるのか、それを明確にすることが今の目標ですね。元請けとしてのスキルなのか、職人的なスキルなのか、仕事をコーディネートするスキルなのか、自分の強みをどこに置くのか模索している最中です。また、今はチラシでの集客が中心ですが、今後はインターネットを使ったマーケティングにも力を入れていきたいと思っています。

菅沢由恭さんのフランチャイズ独立ストーリーまとめ

  • 「ハッピーじゃない」現状から抜けるために会社を辞めることを決意。元々、独立するつもりはまったくなかった。
  • ニッチなビジネスに惹かれて「金沢屋」に興味を持った。「自分にもできる」という直感を信じて1カ月で契約を決めた。
  • 独立してから変なことに気を回すストレスがなくなり、気が楽になった。周りからは「表情が変わった」と言われることも。

株式会社うちすけ(金沢屋)の独立開業情報を見る

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金沢屋 狛江成城店オーナー 菅沢 由恭(すがさわ よしやす)

法学部政治学科を卒業後、外資のITメーカーに就職。法務、販売店の開拓、マーケティング、ビジネス開発などを担当。22年間勤務した後、外資のIT商社に転職。2018年9月、51歳のときに「金沢屋 狛江成城店」のフランチャイズオーナーとして独立・開業。1年目は東京都世田谷区、狛江市、調布市を営業エリアとしていたが、2年目からは神奈川県川崎市多摩区にまで営業エリアを広げ、さらなる売上拡大を図っている。
※取材時点の情報です

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